私のパソコン履歴

 

とコンピュータとの出会いは、大学入学前後の頃でした。どうしてコンピュータに興味を持つようになったかはよく覚えていないのですが、コンピュータが身近になってきた時期と同じくしていることは間違いありません。

当時電卓用として開発されたLSIが4004→8008と進化し、ついに汎用CPU8080となりました。このCPUで電子工作する、というのが趣味の始まりでした。当時のCPU系列は大きく二つ、前述の8080系と6800系でした。8080は電卓用チップからの進化、これに対し6800はミニコン(大型コンピュータより小さい規模のコンピュータシステム)のアーキテクチャーから設計されたと聞きました。それ以外にちょっとマイナーでしたが6502というCPUもありました。これらはデータを8ビットで扱い、データの場所を示すアドレスバスは16ビットでした。内部演算用のメモリ、すなわちレジスタは10個前後、たとえば6502の場合Aレジスタ(アキュムレータとも称する)以外にアドレス修飾用にX,Yレジスタ、そしてスタックポインタとコンディションコードレジスタ、そしてプログラムカウンタと非常にシンプルでした。

インテルの8080はその後傍系にザイログ社のZー80を生み出しながら8086、80380、80480、そして現在のPentiumへ進化しました。もう一つのモトローラ6800は6809、68000、68030、68040、そして現在のPowerPCへ進化しました。扱えるデータも8ビットから16ビット、そして32ビットへと増えていきます。ただ、6502はその後メジャーな進化系は無かったはずです。(65C02という、命令形が強化されたものがあったかな?)これらのうち80系はPC/AT互換機、68系はマックに採用されたわけです。ちなみに、6502は後述のとおりアップルに採用され、また初代ファミコンにはこのチップのカスタムバージョンが搭載されていたというのは有名な話です。(ここで行っているアップルとは、パソコンの名前であり、会社名であるアップルコンピュータのことではない。アップルコンピュータが最初に作り出し世に出したパソコンがアップルで、後に作ったのがマックである。)

このパソコンが一般的な趣味になり始めたころの時代は、前述のとおり自分でパーツを買い集め、バラックで(裸の基板に直接部品とケーブルを半田づけして)自作するのが常識でした。入力はオンオフだけのトグルキーがいくつも並び、あるいはよくて16進キーでした。出力は8の時のLCDだけ。ROMが無いので自分でイニシャルプログラムローダーを1ビットずつぱちぱちと打ち込み、データの保存には外部記憶として普通のオーディオカセットを使用していました。

そのあと衝撃的な商品が出ます。そんなバラックの自作ではなく、一式揃ったキットが発売されたのです。NECのTK-80です。このキットは98,000円で、NECが製造する8080互換のμPCナントカ(正確な型番は忘れました)というCPUの評価用ボードとして発売されましたが、個人の愛好家も購入しました。価格は評価用に会社が購入しやすい、決裁されやすい価格として設定されたと聞きました。(このキットは後にTK-80Eという67,000円の廉価版も発売されています。)この製品については最近パソコン上のエミュレータとして(再)発売されました。

て、そんな手作りの時代はやがて完成品の時代へと進みます。私自身は大学のマイコンクラブに所属していたものの、自分でバラックを組み立てる事はほとんど無く、実際に動作するものとして手にいれたのがアップル][でした。当時は完成品として売り出されていたものはすべて米国のもので、このアップルの他、コモドール社のPET(Personal Electric Transactorの略だった。モニタやオーディオカセットまで一体化されていた。)、タンディラジオシャック社のTRS-56がありました。このうちアップルを選んだのは、なんといってもカラーが使えたからです。NECのPC-8001が出るのはもっとずっと後で、その前身には前述のTK-80と組み合わせることで同じようなシステムにする(BASICが使えるようになる)TK-80BS(Basic Stationということ)なるキットも発売されました。

ちなみに、私が買ったアップル][は6K BASIC内蔵(整数しか扱えないBASICが6KバイトのROMに内蔵されている)のもの。後にplusが出たため、スタンダードと呼ばました。その後10K浮動小数点BASIC内蔵のアップル][plus、メモリや表示機能などが強化されたアップル//e(enhanceということ)、表示機能やサウンドなど全般がさらに強化されたアップルIIgs(graphics and soundということ)などもありました。
パソコンには最初OS(Operating System)と呼べるものはなく、ごく簡単な入出力ルーチンがROMにのっており、ユーザーはそれを利用しながら機械語(あるいはニーモニックを使ってアセンブリ言語でプログラミングしたもの)でプログラミングしていました。その後BASICと呼ばれるインタープリタ言語がOSも担うようになり、そのBASICのコマンドの中でファイル操作等についてのフロッピーなどの外部記憶操作命令が含まれていました。つまり本当の意味でのOSはパソコンにはなく、たとえばアップルではBASICの機能強化の形でDOS(Disk Operating System。ここで言うDiskはフロッピーディスクのこと。)やProDOSと言った名称のソフトウェアが提供されていました。
ちなみに後に登場するマッキントッシュやPC/ATとその互換機にはOSが内蔵されています。マッキントッシュのOSには長く固有名称がなく、Systemという名前とバージョン名が付くだけで、PC/AT互換機ではPC-DOS(IBM提供のもの)やMS-DOS(Microsoft提供のもの)がOSでした。

このアップル][はパーソナルコンピュータと言うにふさわしいある意味完成品でした。とは言ってももちろん簡単にふたは開けられて、自由に内部をいじることもできました。非常に拡張性がよかったこともあり、メモリの増設だけではなく、いろいろな種類の拡張ボードやアクセレータが発売されました。今のPC/AT互換機におけるスタイル、メモリやPCIボードを増設したり、CPUを交換するというやり方の原型はここにあったと言ってもいいでしょう。モニタにはテレビを使い、外部記録はやはりオーディオカセットで、フロッピーが発売されるのはかなり後になります。私が購入した拡張ボードは、メモリカード、シリアルプリンタカード、フロッピーディスクコントローラカード、サウンドカード、アクセレータカードなどなどでした。

このアップル][は実際にはほとんどゲーム機として使用していました。しかしその後、私は長くパソコンから遠ざかることになります。ファミコンなどのゲーム機や、東芝のルポといったワープロは購入したのですが、パソコンは高価で購入できなかったのです。確かこの時代のパソコンは30万から50万したはずです。はやり始めた電子掲示板(草の根のものの他にniftyにも)には、ワープロで通信していました。

在の形のパソコンで初めて購入したのは、結婚して子供が産まれたあとのマッキントッシュColorClassicIIでした。10万円前半まで値段が下がり、やっと購入意欲がわいたわけです。このマックは長く愛用し、愛着のあるマシンです。さすがに仕様的に現在のインターネット利用にはちょっと非力になってしまいましたが、それでもいつでも使えるように待機中ではあります。(オリジナルのものは今となっては画面が小さくCPUが非常に非力な部類に入ってしまったのですが、改造して画面解像度を512×384から640×480へ、またCPUを68030から68040へと最低レベルの仕様にまではあげてあります。)

この後新品のパソコンとしては、マッキントッシュパフォーマ588(使用中)、シンクパッド220、バイオF76(使用中)、パビリオン2000(使用中)を購入して今に至りました。これら以外に中古としてマッキントッシュパフォーマ5220(使用中)、パワーマック7100/66AV(廃棄寸前)、マッキントッシュLC575(ColorClassicII改造のため使用し、筐体等は廃棄)を購入、PDAとしてはMobileGear R/330、PocketPostPetを購入しています。それ以外に貰い物としてザウルスPI-4000、PC-9801 Nd2(廃棄寸前)、DEC HiNote(もともと調子が悪かったのでしばらくして廃棄)、IBM ThinkPad380XD(子供部屋へ)、東芝SatelitePro440CT(父の元へ)があります。こうやってリストにすると、ずいぶんありますねぇ。


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